「主は人となられた」 05.12.04
マタイ1:12〜17
クリスマスは、神の子であるイエス・キリストが、私たち人間と深く
結びつき、私たちと一緒に生きるために、人間となってくださった
奇跡の起こった日です。
マタイ福音書の始まりには、系図が記されています。
イエスさまは、その系図に連なる者として、クリスマスに誕生され
ました。この系図に名を連ねている人たちの中には、旧約聖書に
登場してくる人たちがたくさんいます。その中には、どうして系図に
名前が連ねられているのか首を傾げたくなるような人たちも、
記されています。
まず、系図に女性たちの名が記されていることが注目されます。
その女性たちは、異邦人や遊女です。本来ならば、系図に女性の
名は記さなくてもよいのに、あえて名が記されているようです。
胸を張ることが出来ず、隠しておきたい過去を持ち、ドロドロした
人間関係を抱えている姿を、この系図は表わしています。
7〜11節には、王たちの名が記されています。王たちは、立派な
人たちとして名が出てくるのではありません。この王たちによって
国は滅びたのです。つまり、系図に登場する王たちが表している
のは、イスラエルの不信仰と失敗の歴史です。
そして、12節からの部分に登場するのは、聖書に名の残って
いない人たちです。これらは、特別の人ではなく一般の普通の
人たちです。力ある権力者ではなく、普通の凡人のような姿を
表しています。
の系図には、私たち一人ひとりの人間の姿や歴史が重ね
合わせられています。隠しておきたい過去を抱え、不信仰な
失敗をし、また特別な力を持っていない普通の姿は、他人事では
ないのです。
しかし、そんな系図に連なるものとして、<メシアと呼ばれる
イエスがお生まれになった>のです。
それは、この系図のような姿を抱える、私たち一人一人が、
キリストに繋がっていただき、進んでいけるようになったと
いうことを表しています。
キリストが人となられた。ここに私たち、そして人類の
希望があります。